リウマチ17年目の過ごしかた。

リウマチになって17年、30代の記録です。

17年の経過を簡単に④「エンブレルへの切り替え」

前回の記事では、レミケードによって生活がどのように変わったのか?

その変化を踏まえて高い治療費について思うところを書きました。

 

今回の記事では、順調に使用していたレミケードをエンブレルに切り替えた時の話を中心に書いていきたいと思います。

 

2005年の11月から使い始めたレミケードですが、それから3年も経たない2008年8月にエンブレルへと切り替えることになりました。

 

外来治療センターでレミケードを点滴してもらうと直後から体調がとても良くなって、しばらくとても元気に過ごすことができる。

でも2、3週間経つと体が重く痛くなってきて、重いものが持てなくなったりと日常生活に少し不便が出てくる。

でもその頃にはまた次の点滴の日になるので、また受けに行って元気になって、、と、この頃はそんな体調の波の繰り返し中で過ごしていました。体調が悪い時でも少し不便が出てくるという程度で、日常生活に大きな差し支えが出るようなことはなかったので、それで十分満足して生活していました。

 

その時の私の大まかな状況としては、大学を卒業してまた新たな土地で一人暮らしをしていました。(得意分野が活かせると感じた業種の専門学校に通っていました)

(就職率の低い時代にリウマチを抱えながらも就活はしたのですが、会社員に必要とされる素養への力不足とハンデの大きさを痛感し、何か具体的に手に職と言えるような強みを手にしようとの判断でした)

それに伴って主治医も変わりました。変わった主治医もまたリウマチの名医として知られていた医師でした。(大学病院からクリニックへの転院でした)

 

そちらの病院でもしばらくの間は、変わらずにリウマトレックスを服用しながらレミケードの点滴を受けていました。

 

そんなある時、転院して4ヶ月経った頃の夏休み中に仲間と力を入れて取り組んでいたことに熱中しすぎて無理をしてしまったことをきっかけに、肩や手首など複数の関節にひどい痛みが出てしまい、痛みのコントロールがうまくできなくなってしまうという状況になりました。

肩や手首の炎症で自分ひとりでは着替えが出来ず髪も洗えないという状態が続き、2週間ほどは一人暮らしを踏ん張って続けながら課題も何とか出来ることをする形で続けたのですが、痛みは一向に引かず無理をすればするほど悪化する状況になっていたため、しばらく休みが続くタイミングだったこともあり、熱中していた課題はひとり抜ける形で途中で諦め実家に帰って静かに過ごすことになりました。

身の回りのことに不自由が出る程度に悪化した関節の痛みは発症から1ヶ月ほど続きましたが、夏休みが明けた頃には学校へ普通に戻れるようになりました。

ただ、この間に一緒に課題を行なっていた仲間にも迷惑をかけたり、アルバイトも代打で仲間に出てもらったり、もちろん両親にも面倒を見てもらったりなど色々と周りに負担をかけたことを実感していました。

大学の頃にやっていたアルバイトではリウマチを理由に休んだことは一度もなく、リウマチを理由に授業を休んだことも無かったので、大学よりも専門学校のほうがスケジュールが詰まっているとはいえ課題を途中で諦めることになったということ、周りに迷惑をかけたということが何となくショックでした。

(突然こんなに腫れて何もできなくなるということが起こるようでは、先々とても恐ろしいと、手の周りへの突然やってきては長く続く痛みに不安を覚えた最初の出来事でした。)

 

漠然と何かもっといい治療を心の奥の方で求めはじめていた、そんな時に主治医の先生にエンブレルへの切り替えを提案していただきました。

エンブレルは週に1回から2回、腹部や太腿に自分で注射を打つ(自己注射)生物学的製剤です。

それ以前にもエンブレルという新しい薬があるということは先生から聞いていたのですが、自己注射という点がどうしても受け入れられず、やってみようという気持ちにはならずにいました。

こちらの方がよく効くとか、症状が改善するとかそういうことではないのですが(本当に人それぞれ個人差もあるので)レミケードに対してのエンブレルの利点として先生がおっしゃっていたのは、投与のタイミングが頻繁である分体調に波が出にくいということと、自分で打てれば治療にかかる時間が圧倒的に短くて済むということの2点でした。

 

当時レミケードにアレルギーが出ていて1日がかりで点滴を受けていたので、学生のうちに替えておければ社会人になった時に困らずに済むということもアドバイスいただきました。

 

リウマチで社会を生きることに少なからず不安を覚えたタイミングだったこともあり、それまでレミケードの治療で体調に波があることは仕方がないことだと受容していたのですが、よりよくする挑戦をしてもいいのではとこの時思えました。

(このより良くはあくまで”私にとって”のより良くです。人それぞれのより良い治療があると思いますので、あくまで一事例として読んでいただければと思います。)

 

※ちなみに、エンブレルとレミケードはTNF-αというサイトカインを標的として作用する「TNF阻害薬」という同じ種類の生物学的製剤のため、レミケードがとても効いていたのでエンブレルも効果がある可能性が高いという説明を受けていました。

 

※また製造方法に違いがあるため、それまでレミケードの点滴で悩まされていたアレルギー反応の心配も少ないという個人的なメリットもありました。

レミケードは製造の過程でマウスを使用しており、そのため薬剤に対してのアレルギー反応が出やすく、対してエンブレルはヒトのタンパク質由来の薬剤のためアレルギー反応が起こりにくいそうです。

 

 

そういった経緯で、エンブレルに切り替えることになります。

 

近くの大きな病院でCTなど、肺や全身の検査を受けて状態を確認後、エンブレルが始まりました。

最初の数回は病院にて打ってもらいました。

打ってもらう体制から自己注射に切り替える時には、看護師さんが針のないダミーのシリンジで何度も針を入れる向きなどを丁寧に説明してくれ、やって見せてくれ、練習をさせてくれ、最初の一回は見守られながら打つという万全のサポートを受けながら、針の痛みに緊張しながらも終えることができ、その後は日常のルーティンと自然となっていきました。

 

ちなみに私が始めた頃にはペンタイプが無かったのか、THE注射器!の見た目のシリンジタイプを使っていました。数年してペンタイプに切り替えましたが、シリンジタイプはお腹に針を刺す瞬間の緊張感はすこぶるあれど、自分で注入するスピードを調節できるので薬液の入っていく痛みはほぼないという利点がありました。

対してペンタイプは手が痛くてもグッと両手で押し込めたり、割と大雑把にこの辺りで!と押し付けてボタンを押せば完了するという楽さ、廃棄時の安全性の高さなどの利便性の反面、ボタンを押した瞬間に一気に薬液が入ってくる時には何ともいえない痛みがあり一長一短でした。(個人的にはシリンジのチクンという針の痛みよりも、若干悶えるような薬液が流れ込むペンタイプの痛みの方が苦手でした)

 

 

エンブレルに切り替え後は、本当にレミケードの時のような大きな体調の波が無くなった分安定していると感じることが多くなりました。

体調が悪くなると注射の頻度を増やしたり、逆に良くなれば間隔を開けたりといった調整もその時々によって対応していただき、多くの時間をいたって元気に過ごすことが出来ました。

 

ただ、突然ひとつの関節(手首や肩のことが多いです)が腫れ上がり数ヶ月腫れっぱなし、というような現象は薬の種類には関係が無かったようで、それ以降も何度もやってきては人生の色々な場面の難易度を上げています。

 

エンブレルは始めてから12年間使い続けました。

(正確には最後の2、3年間はエタネルセプトBSというジェネリックの薬剤を使いました)

 

現在はアクテムラという違うタイプの生物学製剤に切り替えて治療しています。

 

そこに至った経緯などを次回は書いていきたいと思います。

今回も、長くなってしまいました。

長文にお付き合いいただきありがとうございました!

 

※リウマチは、本当に患者さんの数だけ症状のあるような多様な症状の病気だと感じます。一体験談として、こんな人もいるんだという程度に読んでいただけたら、その上で何かしら参考になるようなことが少しでもあれば幸いです。

 

 

最後に、個人的な思い出をひとつ。

エンブレルを打ち始めた時、確か週2回のペースで打ってもらっていたのですが、ある時ちょうどクリニックの休診日に当たってしまった時がありました。休みにも関わらず、主治医の先生が普段着でやって来て入り口を開けてくれエンブレルのシリンジを「効きますように、効きますように」と両手で挟んで拝んでから打ってくれました。

(特に効いて欲しい時には真似をして拝んで注射するようになりました。)

 

提案はしても無理強いはせず、挑戦したいことはやってみましょうと尊重してくれる先生でした。当たり前のように、先生のその対応を受けていましたが、実はそれは医師としてきっとリスクもあり、なかなか実行できるものではない自信と勇気のある行動だったのだと今になって思います。

カルテの中に、診察の中で話した個人的なうれしい出来事までメモしてくれました。

その先生はすでにこの世を去ってしまったのですが、貴重な休日に嫌な顔ひとつせずに良くなりますようにとおまじないまでかけてくれた様子を思い出し、リウマチに挫けそうになっても、助けられた感謝を糧に諦めずに治療をして前向きに生きたいと思うのでした。

 

継続が本当に苦手でブログが本当に3日坊主になってしまいそうですが、治療の色々、生活の色々を書き留めておくことで、いつか誰かの参考になる時がくるかもしれない!と亀の歩みでもコツコツ続けていけるようにと思います。