リウマチ17年目の過ごしかた。

リウマチになって17年、30代の記録です。

17年の経過を簡単に②「投薬治療開始から生物学的製剤を始めるまで」

前回の記事では、発症から診断が着くまでの経緯を語りました。

 

今回は治療が始まって、どのような経過をたどって、2005年時点で日本ではまだ新薬だった生物学的製剤(レミケード:正式名称インフリキシマブ)を使い始めたのか、

それが私にどのように効いたのかを書いていきたいと思います。

 

いざ関節リウマチだろうという診断がついた時、謎の症状に悩み何度も受診を繰り返していた自分としては、心配や不安よりも何よりほっとしたことを覚えています。

症状に名前がついて、お医者さんにもこの状態がしっかりと認知してもらえるのだと感じました。祖母がリウマチで苦しんでいたのを間近で見ていた為、辛い治らない病気だという認識があったのですが、その上でもほっとした気持ちの方が病気への不安よりも大きかったです。

また、祖母と同じ病気なんだ、おばあちゃんと同じなら大丈夫、という祖母への絶大な信頼の為せる不思議な安心感がありました。

(さらにいえば、「すぐに命に関わる病気じゃなかった良かった」というような気持ちもありました。)

今となれば、そこから人生が大きく変わるというか、常に共に歩む、自分の特性が大きく加わる出来事だったと感じるのですが、当時は周囲の人達はなぜそんなに心配するのだろう?と不思議に思う程、楽天的に捉えていました。

 

症状としては診断がついた頃から、坂を転がるように急激に悪化していきました。

悪化していく中では、とにかく大学の授業を休まずに受けること、実家から遠く離れた土地での一人暮らしだったので食べて寝て家事をこなすこと、「生きること」に必死で悲観的になる余裕もない日々が続きました。

 

具体的に症状を述べていくと、日々、痛いところは変わりつつも毎日平均6箇所くらいは痛みがある(指の一本を1箇所と数えれば、6箇所どころではなく無数にある)というような状態に診断後すぐになりました。

それぞれの痛みの具合はどんどん悪くなっていって、痛い箇所が減ることがなくなり増える一方になり、、、足の指、足の裏、足首、膝、手の指、手首、肩、顎、喉の骨それらの関節が激しく痛み、常に微熱というか身体が重く、熱く、だるく、ただ座っているだけでものすごく体力を消耗し疲れる。

授業を静かに聴いているだけで、ぐったりと疲れる。大学に入って好きなものを食べ続け1年で8キロ太った体重が1、2ヶ月で元どおりに痩せました。

身体全体が静かに焼かれ続けているような、自ら燃え続けているような感覚でした。

パンパンに膝が腫れ上がり、診断から3ヶ月経った頃にはすでに杖なしでは歩けないほどになっていました。膝は腫れのせいでほとんど曲がらない状態でした。(急激な腫れだったためか膝には肉割れの跡が残っています)

手押し車でゆっくりゆっくり歩いているおばあさんよりももっと遅い速度で、すり足のような足の運びで、杖を支えに何とか歩きました。

手の指はパンパンに腫れて、糸巻き状でした。

ほとんど曲がらないので炊事はとてもやりにくかったのを覚えています。

 

特に辛かったのは夜で、まず痛すぎて眠れない、寝付けない、寝返りがうてない、布団が重い、寝ついても痛みで起きてしまう。朝は朝で目が覚めると全身が強張っていて、辛い。

暗い部屋の中で痛みと向き合っている間は、痛くて痛くて、悲しくてシクシク泣いていることもよく有りました。

 

この頃治療としては、痛み止めの薬を朝晩。(ロキソニンプレドニンなどだったと思います。)治療薬として飲んでいたリウマトレックスもどんどん量が増えていき、これ以上はもう出せないという量を処方してもらっていましたが、痛み止めで痛みが和らぐ実感はありましたが、症状はどんどん悪化していきました。

 

そんな経過を辿っていた、診断からちょうど半年後を迎えた頃。

 

主治医の先生に、「飲み薬が全然効かないようなので提案するのだけど、つい数年前に日本で治験が終わった新薬があるんだけど使ってみますか?」という提案をいただきました。

 

それが生物学的製剤のレミケードでした。

 

新しい技術で開発された薬であること、重篤な副作用もあること、検査入院が必要なこと、点滴の薬で2回目の実施までは入院をして行うこと、特に2回目はショック症状が出やすいので必ず家族同伴で行うこと、効果は7割くらいの人にはあるけれど、3割くらいの人には無いこと、そして非常に高価であること。

 

それらの説明を受けて、両親と相談し比較的すぐに使うことを決断しました。

 

悪化の一途を辿りこのままでは本当に寝たきりになってしまう、車椅子になってしまう、という未来がすぐそこにみえているような状態で(その時はその瞬間を生きるのに必死で私の目線ではそこまで予想をする余裕もなかったのですが、)副作用があっても、何か方法があるのなら、、、という即決でした。

 

検査入院を終え、レミケード1回目の為に入院したのは大学病院の内科の病棟で、そこでは他の疾患で入院されている方々と同室でした。

長期入院されている方が多く、その方たちから、私と同じ治療のために来た患者さんが同じように杖をついて入院してきて、治療後は杖を使わずにスタスタと歩いて帰って行ったよ、奇跡のような薬があってうらやましい、というお話を聞きました。

それを聞いて、なんだか申し訳なく思うと同時に本当にそんな薬であったら、と期待も高まりました。

でもいくら何でも、そこまで効きはしないのではないか?3割の人は効かないとも聞いたし、あまり期待しすぎずに、、と自分を落ち着かせつつ、点滴の日になり、受け、一晩寝て起きると、その奇跡が自分の身にも起こりました。

 

身体中の腫れが、ウソのように楽になっていました。すっかり健康に戻った訳ではないですが、痛みでほとんど動けなくなっていた自分には、普通に戻ったと同じと思えるくらい腫れが引きました。

本当に杖なしで歩けました。

ほとんどパーのままになっていた手が握る形に曲げられるようになりました。

全身の痛みが、半減はしたと感じました。

 

(2度目の点滴の際は母が付き添ってくれ、アナフィラキシーショックもなく無事に終わりました。)

遺伝子組み換えの大豆は何となく怖いと思い選べるなら食べないようにする私ですが、生物学的製剤の生物がバイオテクノロジーを意味していて、遺伝子操作によって生まれた薬ということはいまいち理解することもなく、すがる思いで飛びつきました。

 

後に、この薬は金額、副作用、製造方法などの点で使い始めるかを躊躇する方もいるのだということを知るのですが、当時の自分にとっては命綱のような、これで助かるなら、、、!という本当に命を救ってもらった思いの薬でした。

ただ、迷うような情報をよく理解して知っていたとしても、当時の状況であれば使わずにはいられなかったと思います。この先に、思いもよらない副作用があったとしても、自分にはもう訪れなかっただろう自由に歩ける17年をもたらしてくれた生物学的製剤には感謝をしたいと思います。

あまりの劇的な効きに、痛みをずっと抱え、苦しんでいた祖母の時代にこの薬があれば、この薬を届けてあげられたら、、、と強く思いました。

 

ただ、これはあくまでも私個人の状況の上での感想なので、迷っている方に使用を強くすすめている訳ではありません。

こういう例もあるのだなという、あくまでも一つの例として受け止めていただけたらと思います。

 

リウマチというのは、いつ発症したのか、どのような速度で進行するのか、どんな薬が効くのか、病気の勢いやタイプも、同じ病名であっても本当に人それぞれに違うものなのだろうと身近なリウマチ患者さんを見ていても思います。

 

一例として、たくさん情報を集めたい方の一助になればと思います。

 

 

さて、ここからリウマトレックスを飲み続けながら1ヶ月に一度のレミケードを3年弱続けることになります。

 

次回はレミケードを使っていた時の感想などを書いていきたいと思います。

 

簡単に、とタイトルに付けながらまたしても長文になってしまいました。

(事実だけ述べて、心情や感想は入れなくてもいいのかとも思いましたが、書き始めるとついつい記憶が蘇ってきて書きすぎてしまいます。)

 

 

長文にお付き合いいただきありがとうございました。